東日本大震災から、まもなく5ヵ月、そして初盆がこようとしています。
マスコミでは、震災復興のあり方への是非や、ヒューマンドラマ的な報道が主流となっています。
そういう報道も含めて、「大震災をどう伝えてきたか、今後どう伝えていくか」が、問われているのではないでしょうか。
大震災後4ヵ月の7月上旬、「JVJA写真集 3・11メルトダウン-大津波と核汚染の現場から-」が発刊されました。
もとより、大手新聞社、雑誌社に発刊時期で大きく遅れをとる「写真集」ですが、その立ち位置はフリージャーナリスト集団ならではの視点があります。
写真集は、原発事故の現状を告発し、住民の怒りとたたかいへの萌芽を描いています。
この視点が、続編となって出版されることを願ってやみません。
もうひとつ特徴的なのは、かなりのページを使った「緊急座談会」の中で、「3.11」発生後、それぞれが何を考え、どう動いたかが率直に語られていることです。
あるジャーナリストは、事故直後に現地入りしようと仲間と相談しているのを妻に聞かれて、「原発に行くなら私を殺してからいきなさない」と、反対されたと告白しています。
また、「災害の取材はマスコミが圧倒的に有利ですから、いったいに何ができるか」と考えながらも15日には出発したメンバーもいます。
しかし、彼らは出かけ、放射能計測器で被ばくの現状を住民に伝え、告発していきました。
「あとがき」の中で、メンバーの一人森住卓は「いまや、ホンモノとニセモノを見抜く力を身につけねば生きてゆけない時代だ。われわれジャーナリストはそのための判断材料を提供するのが使命ではないかと思う。その点でジャーナリストの資質が現在ほど問われているときはない」と記しています。
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