憲法県政の会幹事会のメンバー一人が15日夜、共産党県委員会のボランティアバスで神戸を経ち、16日より3日間、福島県いわき市の仮設住宅の訪問活動を行いました。
地震、津波、原発、風評被害にくらし、仕事を奪われた被災者、被害者の想いを紹介します。
「津波で流された後、原発事故があって茨城県の水戸市に避難所の相談をしたが、『つくば市で検査してくれ』と言われました。お店に入ると『福島から!』とも言われました。父親は水産関係で失業して、今は夫婦で港のガレキ撤去で生計を立てています。家が苦しいのを見て娘が高校をやめてバイトをし始めましたが、定時制に行って何とか大学に行きたいとがんばっています。下の10歳の娘はストレスで夜余り眠れていないのが心配です」(40歳代女性)
「親戚といっしょに魚を加工する仕事をしていました。工場もとなりの家も、すべて津波で持って行かれました。元の地域に戻れるのか、もどっても原発で今までの商売ができるのか、仕事を再開できるかどうか、メドすらたっていません」(60歳代男性)
「両親が津波で流され、母親がまだ見つかっていません。自分は仕事再開のメドがなく、妻の仕事場も流されました。り災証明書はもらったが、義援金、支援金の手続きはわからないのでまだしていません」(40歳代男性)
「原発の一刻も早い収束を、東電はすべての被災者に補償を」署名には、いわき市の入居者のほとんどに応じて頂きました
これらは、いわき市沿岸部で津波で何もかも流された方々の想いのほんの一部です。
訪問の中では、被害の実態に合わない東京電力の画一的な補償金支払いへの、「抑えた怒り」もありました。
訪問者は、聞き取りをしながら被災者、被害者の怒り、願いを聞き出していきます。
地震、津波に加え、「原発人災」で苦しめられている声は、対話することで“たたかいの力”になります。
16年前の被災地には、その役割発揮が求められているのではないでしょうか。
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