兵庫県知事を被告とする裁判が、12月14日判決を迎える。
「被爆者手帳」認定申請の却下決定の取り消しを求める裁判だ。
手帳所持者は、健康管理手当などの手当を受けることができ、無償で医療も受けられる。
手帳の申請には、2人以上の「証人」が必要とされる。
被爆から60年以上も経って申請する方がおられるのは、被爆者であることの結婚、 就職などの差別が躊躇させてきたからだ。
しかし、長い年月が過ぎて「2人以上の証人」を捜すのは簡単ではない。
申請用紙には、証人などの証言が得られえない場合、「本人において当時の状況をくわしく記載した申述書」を提出すればよいと明記されている。
だが、60年以上も前の、しかも幼少であった「当時の状況をくわしく」思い出すこともたいへん困難であることは言うまでもない。
「原爆症」は、国に申請し、認定する。
ここでも大量の却下者が出て、取り消し裁判(原爆症認定集団訴訟)が行われ、被爆者が連勝してきた。
被爆者手帳は、県知事が認定するが、前記の困難さ故に、「被爆の事実が証明されない」と却下される例が相次いでいる。
今、県知事を被告として行われている裁判は、被爆当時6歳の方に、県が、被爆の客観的な証明書と論理一貫した供述を求め、これがない限りは手帳交付はできない、との態度をとっているからだ。
年月が経って、供述の矛盾を揚げ足取りするのでなく、申請者の申述内容に、本人でないと語りえない体験(音やにおい、その場の感情など)が表現されており、それが客観的な事実に反しない限りは認定すべきだ。
そして、このような証人さがし、「当時の状況」の調査・確認などをサポートするのが兵庫県の仕事ではないか。
兵庫県に「被爆者相談室」がある。
この「被爆者相談室」は、1956年11月、兵庫県原爆被害者の会の結成時、坂本勝県知事が自筆の「被爆者相談室」の看板を贈呈した。
この看板は、最初、兵庫県原水協の事務所にかけられ、60年から神戸新聞社の厚意で神戸新聞会館内に相談室が置かれた。
被爆者自身が相談に乗り、被爆者が交流、憩える場として喜ばれた。
手帳所持者が増え、相談内容も複雑となるなかで、県に相談室設置を陳情し、県議会で満場一致で採択され、1964年11月から県に開設されることになった。
現在、3人の職員が配置されているが、被爆者手帳の申請などについては、書類が整っているかどうかの実務的機械的チェックにとどまっている。
このために、却下処分され、原水協に相談に来ている方が10人を越えている。
被爆しているのに認められない悔しさ、落胆ぶりは慰めようもない。
兵庫県に在住する約4300人の被爆者に冷たい県政は、原爆の被害と責任を小さく見せたいために「原爆症」認定申請を却下し続ける国と同じ立場にたっているとしか言いようがない。
今夏の伊丹の戦争展から
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