7月3日午後、兵庫革新懇の公開講座がありました。
関西学院大学の室崎益輝教授の講演「東日本大震災と、どう向き合うか?」。
印象に残った点を紹介します。
◇東日本大震災の特徴は、巨大、広域、複合、欠援という4つのキーワードで説明できる
「欠援」-阪神・淡路大震災の数倍もの被害に対して、支援のスピードは数分の一でしかない
・政府が全国の自治体に支援を要請したのは3月22日で、全国的には4月になってからの被災地支援となった
・義援金は「阪神」の1.4倍寄せられているが、日赤が各県に渡したのは6月17日で未だ多くの被災者には届けられていない
・避難所は公的で2500ヶ所、自主的なものも含めると4000ヵ所にも及んだが、支援ボランティアが余りにも少ない-1ヵ所10人のボランティア(これでも少ないが)だと毎日4万人必要だが、実際には平均5000人、学生ボランティアの「禁止」が各大学で出された-誰が、何故?
・本来なら1カ月でできるガレキ撤去が3ヵ月たってもまだ20%-ガレキ撤去で地元雇用を創出するという意見があるが、被災地の基幹産業である水産加工業を再建し雇用を創出するのが本来ではないか
・この「欠援」の背景には、「自己責任」「自助6:共助3:公助1」というイデオロギーの影響があるのではないか
◇直面する課題の全体的構図-今日の課題と明日の課題
「今日の課題」
救援の立ち遅れを、大量の人的資源の投入で克服して、守勢から攻勢の転換を1日も早く達成し、救える命を多く救い、少しでも被災者の苦悩を和らげること…そのために、全国から能動的な支援を
「救援の立ち遅れ」-3つの空白
「30分の空白=津波の情報の空白」-地震直後の空撮で大津波がくるのがわかっていたのに、被災自治体、被災者にすぐに伝わらなかった
「1週間の空白=生きるための物資の空白」-陸路がだめならヘリによる物資投下を首相が指示すればよかったが、「法律違反」でされなかった、多くの餓死にちかい過労死を生んだ
「1ヵ月の空白=支援する人の空白」
被災地が直面する「3つの危機」-被災地の危機を乗り越えないと日本の危機は救えない
(1)被災者の生存の危機
異常なスピードで増え続ける関連死-直後の1週間の支援の空白がもたらした悲しい結末
病院などで判明しているだけで月200人の関連死をうんでいる、以外を含めると震災後1000人を超えていると思われる
(2)地域社会の漂流の危機-離散と漂流を生んでいる、故郷が失われる
(3)地域産業の消滅の危機
危機を乗り越えるポイント
(1)スケール感とスピード感と寄り添い感を持った対応
(2)過去の経験にしがみつく前に、被災地の現状に耳を澄ますこと-前例のない事態には、前例のない対応を
(3)危急時の危機管理の原点に立ち戻る-現場にお金と権限を与え、責任はトップが取る
(4)次の危機を乗り越えるための取り組みを急ぐこと
「明日の課題」-今回の大震災が問いかけたこと
(1)国土構造の見直し-首都圏の計画停電や連鎖的な経済危機から何を学ぶか、医療体制の脆弱性に象徴される地域格差から何を学ぶか
(2)エネルギー問題の見直し-地球環境問題という最大のリスクも視野において、省エネルギー文化と脱原発文化の構築をめざす
(3)科学技術の見直し-「不測の事態」を言い訳にしてはいけない
(4)危機管理の見直し-国をはじめとするわが国の社会の危機管理能力の欠落が露呈した
(5)防災計画の見直し-「絵に描いた餅」の防災計画に危機感を持たせる、楽観的な思い込みを排除
(6)意識啓発の見直し-「自然を理解する力」「危機を予見する力」「臨機応変に対応する力」「連携し連帯する力」
《会場の質問に答えて-津波にあった集落を「高台」に「移す」ことはどうなのか?》
奥尻島では高台に200世帯を移す施策が進められたが、最終的には50世帯しか高台に残らなかった。
海とともに歴史、文化を築いてきた地域を高台に移すことはどうなのか、海沿いでくらしながら危機意識を持ちくらしていく、いざと言うときのための「保険」も社会で考えていくことが必要だ。
低地に住んでも安全にくらす方法を社会的に考えていくべき、ただ、今の被災者がそれでも高台に住みたいということであれば、その支援をしていくべき。
現時点で、高台か低地の選択を迫るような復興策はやめるべきだ。
会場は鉄人のとなりでした。
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