「ここ、しばらく押さえといてもらって、よろしいでしょうか?」
血液検査の採血の後、看護師は言う。
なぜ、「しばらく押さえといてください」ではだめなのか。
「判こを押してもらってよろしいでしょうか」
「…してもらってよろしいでしょうか」
なぜ、しなければならない事に、いちいち許可を得ないとアカンのか。
日常の会話の中の「異常」は日増しに激しくなるようだ。
福島原発事故で、東京電力や、原発を推進してきた「専門家」は、「想定外」という言葉を繰り返した。
雑誌「世界」5月号は、「生きよう!」と題し、東日本大震災の特集を組んでいる。
その中で、ある大学教授が、「想定外」についてこう指摘している。
これは「想定外」だというような言葉を、軽々しく使わないのが「専門家」と称する学者や企業の責任なのだ。
地震や津波は、「想定」したものと異質の災害では全くない。
彼らの「想定」におごりがあったのではないか。
確かに、言葉というモノは、有史以来、常に変化してきた。
しかし、未曾有の大災害を、さらに深刻にしている原発事故の責任逃れをするために、こんな都合のいい使い方をするとは。
市民にとっては全く「想定外」だ。
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