自民党の第2次「憲法草案」のブログ記事を書いている中で、
先日、ある方から頂いた、「元号」法制化についての手紙が浮かびました。
長文になりますが、みなさんに紹介したいと思います。
最近、大阪市職員への思想調査や君が代強制の処分問題などがあったせいか、
元号について色々と思ったことがあります。
数年前、ある銀行で、生年月日を西暦で記入して窓口へ持っていったところ、
若い行員に「ここは昭和〇年と書いてください」と言われました。
私はその行員に、
昭和という時代は、
日本の国が中国や東南アジアに侵略戦争を行った時代であること、
それが天皇の命で行われたこと、
元号はその天皇の皇位継承を基準として定められていること、
したがって自分は元号は使いたくないこと、
世の中にはそういう人もいるのだということを知って欲しいことを伝え、
「どうしても『昭和』でというなら、あなたが書いてください」と言ったら、
ポカンとした様子で、私の話を聞いていた行員が、
私から印鑑とペンと受け取り、書き直そうとしたが、
西暦が昭和何年になるのか計算できないらしく、
時間がかかっていたので、昭和何年と教えてあげました。
いくら「元号」を拒絶する感情があっても、何回もこんなやりとりは疲れるし、
あの時は、たまたますいていたけど、混雑している時には、はた迷惑になるどろうし…
と、自分に言い訳して、ぐっとこらえながら、昭和何年と書いています。
しかし、さすがに「平成」は使えない。
昭和までは、天皇制の国家体制によって定められた「元号」だが、
「平成」は違う。
主権在民、戦争放棄、基本的人権の
考えを規定した日本国憲法の下で決められてしまったものだ。
ある時、また別の銀行で、
ATMが長蛇の列で、窓口がすいていたので、手続きをしようとしたところ、
その日の日付を記入せよとのこと。
「平成」を消して西暦で書いたら、行員が「平成」で書いてくれというので、
「私は『元号』は使いません。あなたが書いてください」と今度は手短に言った。
いつからか、行員による代筆の禁止がうるさく言われはじめ、
ずいぶん年月が経っていた。
その行員は上司に相談に行き、「うるさい客」とみたのであろう、
行員が年月日を記入し手続きは終わった。
しかし、つい先日、ある病院でのこと、
日付を空けていたら、職員が「ここに平成〇年〇月〇日」と書いてくださいと言われ、
目の前だったので、さすがに「平成」を消して西暦を書く根性がなく
言われるままに書いてしまった。
思い出すと自分が情けない。
他でも、やはり「元号」に〇をつけて数字を書く書類に、
「元号」を消して西暦で書く時、
また何か言われしないかとドキドキする。
税務署では、西暦で書いていた申告書を、
何も言わず目の前で「元号」に書き直されたこともある。
それ以来、くやしいが税務署の場合、
申告書の枠内に収めなければならない数字は「元号」で書いている。
自由に書くところと、添付書類は西暦と使うようにしている。
それ以外では、相手がコンピューター処理するので、
そもそも西暦が使えない書類や西暦を使用すると相手ともめそうな場合は、
はじめから「元号」を使うようにして、
それ以外は相手がどう出てくるかと悩みながら西暦を使っている。
しかし、「元号」を書くのは、心理的ストレスになるし、二重線で消して西暦で書いても、
そもそも消す前の「元号」を目にしているのがストレスになる。
「元号」は法制化されたとはいえ、
罰則規定もないし、そもそも強制はしないということだったのではないか。
堂々と西暦が使える環境にしたいものだ。
だから、私たちが「社会環境」に負けずに、
「年賀状」をはじめ私書から、西暦を堂々と使っていくことが大事なのです。
私はそう思います。
頂いた手紙は以上です。
自民党の「憲法草案」の時代は、決して繰り返してはならないのです。
過去の歴史から学ぶ想像力を持ちましょう。
79年前の2月20日に、小林多喜二は虐殺されました。
83年前の3月5日に、山本宣冶は暗殺されたのです。
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