被災58年のビキニデー集会には、兵庫県から29人が参加しました。
2月29日の全体集会では、兵庫県代表団の津川知久団長と
兵商連代表の岸輝彦さんが発言し、
全国の参加者から大きな拍手を受けました。
お二人の発言の要旨を紹介します。
(津川 友久 筆頭代表理事・兵庫労連議長)
兵庫県では、「アピール」署名運動と
原爆展開催に賛同する著名人を100人規模で組織し、
3月18日の非核「神戸方式」37周年記念集会で発表する計画です。
NPTに向けた署名運動では、聖路加国際病院の日野原重明さんや
舞台美術家の妹尾河童さん、
当時・姫路市の住職で、後に全日本仏教会会長となられた河野太通さんなど
約40人の方が賛同のアピールに名を連ねてくれました。
神戸市中央区の原水協は、区内の寺院・神社などを順番に訪問する中で、
署名95筆を届けてくれたお寺があるなど、反響も広がっています。
日本被団協が作成した原爆展パネルは、
3月11日の「東日本大震災一周年」の県民集会で初展示しますが、
展示運動の成功へ、青年、被爆者も加わった独自の推進体制をつくります。
また、4月30日からウィーンで開かれる、
2015年のNPT再検討会議の準備会議にも代表を送ります。
(岸 輝彦 ゼロこねっと事務局・兵商連事務局員)
原発も核兵器もNOの運動を広げる
「ゼロこねっと」の取り組みについて報告します。
昨年の世界大会前に、被爆者の話をお聞きし、
大学の先生を呼んで原発問題の学習のつどいを行い、
その後「原発ゼロ・核兵器ゼロ コネクション」を立ち上げました。
これを「ゼロこねっと」と呼んでいます。
兵商連青年部、民医連青年ジャンボリー実行委員会、
青年ユニオン、民青同盟などや、いろんな個人が加わっています。
世界大会で「青年交流会」を開くとともに、
大会後の報告会では、福島県の青年を招き原発被害の体験談なども聞きました。
毎月20日に街頭署名行動を行い、
クリスマスには、神戸港でクリスマスパレードを行い、ピースキャンドルをしました。
県民集会が開かれる3月11日の午前には、
原発問題の学習会シンポジウムをします。
画家の増山麗奈さんと協同し、アートプロジェクトと称して、
原発、核兵器なくせの想いや東日本大震災の被災者へのメッセージを集め、
1枚の絵をつくります。
その作品は、短時間ですが国立美術館に展示されることになりました。
【ビキニ事件とは…】
1954年3月1日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験をおこないました。この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。
焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残してその年の9月に亡くなりました。
この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。原水爆禁止日本協議会はその年の9月に結成されました。
3・1ビキニデー集会は、この久保山さんの遺志をひき継ぎ、原水爆禁止運動をになう全国の運動と静岡県の実行委員会が共催してきた伝統ある行事です。
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