54年前(1957年)の8月27日は、茨城県東海村の原子炉が日本初の臨界に達した日です。
つまり、広島、長崎、ビキニの惨禍を経験してもなお、政財界がアメリカの圧力と自らの利権のために、原発利益共同体をスタートした日です。
54年後の8月26日、福島原発3キロ圏内の住民が、5ヵ月ぶりに一時帰宅しました。
一時帰宅しても、5ヵ月前のくらしのぬくもりはそこにはありません。
一方、停止中の静岡県浜岡原発の防災訓練の実施を断念したことについて、県の危機監理官は「(防災訓練実施への)時間を頂いている」と発言しています。
福島県をはじめとする原発事故被害者の苦難を自らのものとし、また地域に責任を負うべき自治体のあり方が検証されなければなりません。
そのことをあいまいにして、県民の安全や安心を語る資格があるのでしょうか。 今日26日には、東日本大震災と原発事故を受けた被災者、国民の苦難よりも、ひたすら米日財界の意向を優先させてきた菅首相が退陣しました。 国政も地方政治も住民の切実な願いに根ざしたたたかいこそが、変化への原動力です。
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