67年前の8月15日正午、私は全寮制旧制中学の講堂にいた。
教師も、学生も、固唾を飲んでラジオに耳を澄ませていた。
日本は、私が3才の1931年に柳条湖事件、
9才の37年に盧溝橋事件をでっちあげ中国への侵略を進めた。
中学入学の41年にはアジア・太平洋戦争をおこした。
戦争とともに育ったようなものだ。
「起立」の号令とともに、「君が代」が流れ、
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現情ニ鑑ミ…耐エ難キヲ耐エ…」と、
はじめて聴く「天皇の声」が流れた。
放送が終わっても、趣旨はほとんど分からない。
ただ、講堂には「戦争は終わったんだ」の雰囲気が流れたのみだった。
外泊を許されて、友人と2人、「えらいこっちゃ」と、不安を胸に田舎道を家に向かった。
絶望・不安・絶望・不安…の1日だった。
でも、その時、間違いなく、
「この日本の大地が大きく回りはじめたんだ」(『回転軸』勝山俊介)。
あの日から67年。
だからこそ、今、改めて歴史に学ぶことが求められている。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。