11月1日は、秩父事件の集団蜂起から127年にあたります。
120周年にあたる2004年には、映画「草の乱」が上映され、困窮にあえぐ民衆が悪徳金貸や政府の悪政を批判し、立ち向かった姿は、見るものに勇気を与えました。
《若い世代のために‐秩父事件の概要》
秩父郡一帯は、養蚕製糸が盛んな地域でしたが、1882年ごろから軍備拡大のための間接税の増税、世界的な不況とも相まった生糸価格の暴落などによって深刻な不況に直面し、多くの農家が高利の借金の返済不納におちいり、破産にひんしました。
こうした中、秩父の農民たちは、各地で山林集会を開き、困民党と呼ばれる集団が組織されていきます。
そして、貧民を救うために借金の10年据置き、40年々賦、学校の一時休校、諸税の減免を嘆願する運動にとりくみます。
しかしやむなく、1884年11月1日夕刻、秩父郡吉田町椋神社に3000人が集結し武装蜂起します。
その後参加者は、8000人から1万人までに増えます。
政府は、警官、憲兵隊、東京鎮台(軍隊)まで動員し、徹底的な武力鎮圧をはかり、困民党は11月9日、長野県南佐久で壊滅します。
事件後、政府は「暴動、暴徒」として歴史の闇に葬ろうとしましたが、復権に向けた活動も粘り強く行われ、事件の正しい姿が解明されてきています。
あいつぐ庶民大増税、さらに消費税の増税の企み、
失業・就職難、解雇や内定取り消し、長時間労働・低賃金、
払うに払えない税金、社会保険料への差し押さえの横行、
沖縄・辺野古への基地移設強行の動きなどなど、
「秩父事件」の時代と、余りにもよく似た現代と考えるのは私だけでしょうか。
主権者国民として、憲法をくらしに活かす自治体づくり、国づくりへ。
長野県 北相木村「自由民権の雄叫び」1984.10.28建立
長野県 小海町 「秩父暴徒戦死者之墓」 1933.11.9建立
埼玉県 吉田町 椋神社 「秩父事件百年の碑」 1984.11.1建立
長野県 八千穂村 「秩父困民党散華之墓」 1984.9建立
長野県 東馬流 秩父事件本陣跡
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