東日本大震災と東電福島原発事故から半年が経ちました。
マスコミでは、被災地の復興、住民のくらし、商売の再建への懸命な努力を、ヒューマンドラマ風に報道する論調が多くなっています。
阪神・淡路大震災の時も、半年、1年という暦の上での区切りでしかない時の経過の中で、「復興」が声高に流され、その陰で多くの震災関連死を生みました。
今また、上からの復興=財界による被災地経済の支配が進められようとしています。
大震災、福島原発事故による、今もなお拡大している被害から、くらし、商売、まちを取り戻すには、たたかうしかありません。
原発事故被害者の青年のたたかいを紹介します。
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3月23日、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出されたとして、政府は福島産のホウレンソウ、キャベツなど11品目の出荷・摂取制限を指示しました。
その翌日、「農業が大変なことになる」-。こんな言葉を親しい友人に残して一人の農家(64)が自らの命を絶ちました。
福島・須賀川民商の元副会長で、篤農家として地域に知られていた人でした。
その息子さんが、死を持って原発を告発した父親の意志をつぎ、「父に負けない農家に」と努力するとともに、民商の仲間とともに東電に損害賠償を求めてたたかっています。
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