今朝、福島原発事故の「収束」作業をしていた、協力会社の作業員が亡くなりました。
原子力発電所における現場作業は、日本社会の重層的かつ差別的な産業構造の「象徴」と知られています。
亡くなられた労働者の死因が、直接の内部被曝によるものではなくとも、その過酷な作業に従事せざるを得なかった背景からいえることは、まさに「命が奪われた」ことです。
このブログは、3月13日に安斎育郎立命館大学名誉教授の「国に求めなけらばいけないのは、 『隠さない』、 『うそをつかない』、 『過小評価しない』ということ」とのコメントを紹介した(神戸新聞)。
残念ながら、その後の事態は、この指摘をことごとく裏切っている。
地震、津波にととどまらない、原発事故、風評被害による数十万の被害者を生み出した、この国のあり方への検証に「あいまいさ」(大江健三郎氏)を残してはいけない。
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