マスコミが大騒ぎした、民主党の代表選が終わりました。
その最終盤の11日、神戸新聞に作家辺見庸のコラム「直腸熱39度の孤独」が掲載されました。
事件は、マスコミでも報道されたので、知っている方も多いと思います。
少し長くなりますが、コラムの大要を紹介します。
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八月中旬、私の家からそう遠くないところに住んでいたウエハースのようにやせた老人が熱中症で死んだ。行年76。
古びた木造平屋のアパートの一室で老人は死んだ。最後のことばは「あつい、あつい」だったという。「暑い」か。いや、それをとおりこし「熱い」だったのかもしれない。
警察の発表によると、老人の腸は39度もの熱があった。生きたからだではない。息をひきとってからしばらくたった遺体の直腸で検温したのだ。
老人は北海道出身の元大工で、月額にすれば7万円ほどの年金があった。腰痛ではたらけなくなった長男と家賃5万5千円の2DKに住んでいた。
しかし、家賃をさしひいたら、二人はどうやって食っていけばいいのか。10年ほど前、役所に生活保護を申請し、あっさりことわられた。元大工は怒りと落胆でその後は二度と申請しなかったという。
ひっしで工面して公共料金の滞納分をすべて支払い、みずから電気、ガス停止の手続をした。それから、懐中電灯とカセット・コンロのくらしがはじまる。
エアコンはあったけれども電気がこないのだから、ただのオブジェにすぎなかった。
この夏は熱波をさけようと、しばしばカーテンをしめきり暗がりに閉じこもった。みまかっても腸が高熱をたもっていたわけである。
この死はとうてい尋常ではない。
老人が亡くなって4日後だった。国会議員が百数十人も「研修」と称して軽井沢の緑陰にあつまった。
涼風で風邪などひかぬよう上着をつけて、よく冷えた地ビールやワインを飲みかわし、「キアイダー、キアイダッ!」とげびた声をあげて、こぶしを宙につきあげたりした。
議員たちは貧者のくらしに役だつなにを研修したというのだろう。研修というのなら、死んだ老人の木造アパートにおもむき、順ぐりにせんべい布団にあおむいてみて、死んだ人の腹が39度の熱をたもっていた厳酷無比なわけを、とくと探究すべきだった。
しかし、老人が熱中症で死んだ部屋と軽井沢の涼しい風景のつなぎ目がどこか、さがしても結局見えはしない。つなぎ目もなにも、二つの風景は交わることがない。
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いま、この日本の社会でおこっている事態は、まさに「尋常」ではない。
その打開のための共同のたたかいが強く求められている。
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