「夏の甲子園」をめざす、県大会が真っ盛りです。
選手たちがめざす甲子園球場と、「日の丸」をめぐる歴史です。
1915年
全国中等学校野球選手権大会始まる。日の丸は球場の何処にもない
1925年
前年より甲子園球場で開催。日の丸が外野席の左中間スタンドに。
治安維持法の制定、中学校に陸軍の現役将校が配属され軍が教育に介入
1934年
スコアボードの改修にともない、日の丸はスコアボードの正面最上段に
日独伊防共協定、ナチスドイツのベルリンオリンピック
1940年
「体育競技総力大会」の名称に
「日の丸」の下に、「聖戦完遂」「心身鍛錬」の看板、開会式は「皇居遥拝」から始まる
1946年
大会が復活、日の丸はない
1950年
日の丸が復活、メインポールの最上段に日の丸、その下に大会旗
朝鮮戦争、警察予備隊の創設、旧安保条約の調印、戦争責任者の追放解除
文部省「祝日に国旗掲揚、君が代斉唱をすすめる通達」
1989年
日の丸は大会旗から切り離して最上段に、大会旗は一段降ろされ、連盟旗などと並ぶ。両チームの校旗はスコアボードの両端に、日の丸を頂点とするピラミッド型の構図に
文部省「新学習指導要領」で「国旗、国歌」を義務化
2000年
8月15日の「平和の黙祷」、選手の黙祷をスコアボードに向ってするように変更
コメント
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