今年は、安保条約改定から50年です。
当時の自民党岸内閣は、国会に警察や暴力団も動員して「強行採決」しましたが、その後、6月23日の安保条約批准書交換の「喜劇風」裏幕を、当時の外務大臣が回想録で語っています。
安保破棄中央実行委員会発行の「普天間問題と安保50年」からの引用です。
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その前夜、私は、警視庁と外務省の幹部数人に集まってもらい、最終的に批准書交換式の相談をした。
式を行う場所として外務省と首相官邸と外相公邸の三ヶ所が候補にのぼったが、このうち外務省は、デモ隊が押し掛けてきたときの警備が困難である。
残る二つを検討した末、目立たない点や警備の都合上、外相公邸がいいだろうということになった。(中略)
この計画が事前に漏れてはまずい。そこで、まずカモフラージュとして朝めし会兼幹部会の招集となったわけである。(中略)
次に外相公邸の警備だが、仮にデモ隊が押し掛けてきても白金の通りから公邸までの一本道で食いとめることができる。
問題は、式が終わった後、どうやって脱出できるかだ。
われわれ日本側は公邸に籠城してもいいが、マッカーサー大使は批准書をもっているのだから、なんとしてもすみやかに大使館まで帰さなければならない。
そこで外相公邸の裏側に接しているお宅二軒にお願いして、いざという場合には、公邸のへいを乗り越えて、その家を通り抜け、向こう側へ抜け出せるようにした。
そして、民家の向こうに大使館の車を止めておき、一方、公邸のへいのこちら側にはビール箱を積んで、マッカーサー大使がへいを乗り越えられるように手筈を整えた」
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安保50年の6月23日(水)、安保破棄兵庫県実行委員会が宣伝行動を行います。
【と き】6月23日(水)午後0時15分
【ところ】JR元町東口南側
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