あと一ヶ月で、65年目の終戦記念日を迎えます。
コラムニストからのたよりです。
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戦時、日本国内の大都市は、ほとんどアメリカの爆撃機による無差別じゅうたん爆撃で焼け野原とかした。
家も、家財も、命まで焼かれた。
国民はいったい、誰に補償を求めることができたのか。
空襲を受けない地方都市では、家屋密集地の建物疎開が行われた。
もちろん、国の指示であろうが、実際に手を下したのは県であり、市であった。
商店街の家が数軒おきに、警防団、徴用工などの手で、棟の先端にロープをかけて引き倒された。
他人の家を壊して、知らぬ顔の半兵衛。
補償されたのとの話は聞かぬ。
むしろ、引き倒した側が、“ゴクロウサン”と言われたのだろう。
これなど、大所高所の命と言うも、県や市の仕業。
その反省は、関係者から聞いたことがない。
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憲法に地方自治が確立され、地方自治法ができて60有余年。
今、この時代にこそ、その精神を生かすことが求められています。
数年前に悲惨な戦争体験を聞いた、奄美のきれいな海
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