先日このブログで、大手マスコミが財界の代弁として、
原発問題で政府に圧力をかけている典型的な例として、以下の社説を紹介しました。
9月15日 読売新聞 「『原発ゼロ』は戦略に値しない、経済・雇用への打撃軽視するな」
9月15日 日経新聞 「国益を損なう『原発ゼロ』には異議がある」
今回は、地方紙の政府批判の社説を紹介します。
神戸学院大学 上脇博之教授のブログから頂きました。
7社の社説でかなり長文ですが、読んで力にしましょう
9月21日官邸前行動 「しんぶん赤旗」より
東京新聞 9月20日
「閣議決定見送り 脱原発の後退許されぬ」
政府が「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。
二〇三〇年代の原発稼働ゼロという目標すら後退しかねない。
脱原発に本気で取り組む意気込みが野田佳彦首相にあるのか、疑わしい。
首相に原発稼働ゼロを実現する強い決意があるのなら、こんな結末にはならなかったはずだ。
政府は先週「三〇年代の原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という戦略を決定した。
ところが閣議決定したのは、
この戦略を「踏まえて、関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、
国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」ことだ。
この場合「踏まえる」には「参考にする」程度の意味しかない。
原子力関連施設のある関係自治体や、日本と原子力協定を結んで核燃料を供給する国際社会と議論し、
原発推進を望む経済界を含む国民の理解を得つつ、
柔軟性を持って見直すのは、原発稼働ゼロを阻止する言い訳にも聞こえる。
藤村修官房長官は、実際に三〇年代に原発稼働ゼロを実現するかどうかは
「総合資源エネルギー調査会が決める」と述べた。
この調査会は原発推進の役目を担ってきた経済産業相の諮問機関である。
そこに最終判断を委ねるのは、原発稼働の継続を端(はな)から容認しているようなものではないか。
首相は民主党代表選の記者会見で
「一時的な感情ではなく、原発に依存しない社会を目指すという強い覚悟が(国民に)出てきている。
政府もそれを受け止め、覚悟を決めた対応をしなくてはならない」と述べた。
そもそも国民の多くが求めていたのは三〇年までの原発稼働ゼロ実現である。
それを最大で十年間も猶予する甘い目標を定め、
それすら閣議決定できずに「覚悟を決めた対応」とは聞いてあきれる。
できもせず、やる気もないのに選挙目当てで一時的に国民の歓心を買うことを言い、
結局、欺くようなことが許されるはずはない。
きのう発足した原子力規制委員会の田中俊一委員長ら五人の委員人事でも
首相は必要な国会での同意を得ず、規制委設置法の例外規定に基づいて任命した。
「原子力ムラ出身者」の起用に民主党内でも反発が広がり、
党の分裂回避を優先させたのだろう。
あまりにも姑息(こそく)、党利優先で、国会軽視も甚だしい。
こんな内閣には、もはや国民の生命と財産を守る役目を担う資格はない。
毎日新聞 9月20日
「原発ゼロ政策 政権の覚悟がみえない」
これでは政策実現への決意が疑われる。
野田内閣は、原発ゼロ20+件目標を盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」に関し、
柔軟に見直しながら遂行するという方針だけを閣議決定し、
新戦略そのものは参考文書にとどめた。
政府に対する拘束力が弱まり、脱原発は骨抜きになりかねない。
野田内閣は、国民的議論を踏まえた決定の重みを認識し、脱原発への覚悟を示すべきだ。
政策は閣議決定されることで、内閣の意思として確定し、その決定は変更されない限り、歴代内閣を拘束する。
閣議決定をしないのでは、政策実現に責任を持つ意思を疑われても仕方ない。
そもそも、新戦略づくりが大詰めを迎えた段階でも、内閣の腰は据わっていなかった。
反原発の世論を受け、
「原発ゼロ20+件」を目標に掲げたものの、使用済み核燃料を大量に中間貯蔵している青森県や、
核燃料サイクルに協力してきた米英仏に配慮し、核燃サイクルは継続することにした。
新戦略の実現に向け、新法制定も予定していたが、最終段階でその構想は戦略の文面から削除された。
それでも、「原発ゼロ20+件」の目標は維持して、原発拡大路線からの政策転換を打ち出したが、
戦略決定後も収まらない原発の地元自治体や経済界、米国などの反発に配慮して、閣議決定を見送った。
こうした腰砕けとも思える修正が続く一方で、原発依存の継続につながる動きが出ている
信濃毎日新聞 9月20日
「原発ゼロ 国民を欺く閣議決定」
原発ゼロの目標を盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」について、
野田佳彦内閣が真正面から閣議決定することを避けた。
何とも分かりにくく、曖昧な政府方針となった。
「2030年代に原発稼働ゼロを可能とする」との目標は何だったのか。
首相の本気度が早くも疑われる。
このままでは脱原発を望む国民の声は生かされないだろう。
首相は原発ゼロを確かなものにする姿勢を示すべきだ。
政府がエネルギー・環境会議で新戦略を決定したのは14日である。
原発ゼロとともに、
▽40年運転制限の厳格な適用▽原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ、再稼働
▽原発の新設・増設はしない―の3原則を掲げた。
19日の閣議決定は、
「『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、
国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」との内容である。
福島第1原発の事故を踏まえ、新たなエネルギー戦略を構築するのが、野田政権の課題だった。
そのために、30年の原発比率について三つの選択肢を示し、「国民的議論」を重ねてきた経緯がある。
新戦略は、脱原発の強い世論に後押しされた結果だったはずだ。
それなのに、「踏まえて」という表現で、肝心の中身についての閣議決定を巧妙に回避した。
「不断の検証と見直し」との条件まで付けている。
目標を骨抜きにする含みが感じられる。国民を欺くやり方と言わざるを得ない。
枝野幸男経産相が、青森県の大間原発など建設中の原発について
「設置許可を出した原発は、変更することは考えていない」と、建設継続を容認する発言をしている。
新戦略決定の翌日である。
新戦略に照らせば、こんなことは言えないはずだ。
ゴーサインと取れる発言を簡単に口にする枝野経産相の感覚が理解できない。
野田内閣の原発ゼロ目標は形だけではないか、との疑問にきちんと応えてもらいたい。
それでも政府が原発ゼロを掲げることに意味がある、と私たちは考えている。
自民党総裁選の候補者が目標をそろって批判しているからだ。
野田政権の方針が本物なら、次期総選挙の対立軸になり得るだろう。
原発ゼロは、野田政権の試金石である。
新戦略を堂々と閣議決定し、そのうえで脱原発に向けた法律の制定を目指すことを、あらためて求めたい。
北海道新聞 9月21日
「原発ゼロ戦略 後退は国民への背信だ」
「原発ゼロ」の実現を願う国民への背信行為ではないか。
政府は2030年代に原発稼働ゼロを目指す新しいエネルギー政策
「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。
新戦略そのものを参考文書扱いとし、
「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」といった短い方針だけを閣議決定したにすぎない。
原発ゼロ方針に立地自治体や経済界が強く反対したほか、
日本と原子力協定を結ぶ米国も懸念を表明し、軌道修正を迫られたためだ。
閣議決定は内閣の意思を明確にし、今後の政策実現に責任を負うために不可欠な手続きである。
参考扱いでは拘束力が弱まり、肝心の原発ゼロさえ骨抜きになりかねない。
そもそも新戦略自体が生煮えだ。
原発ゼロの目標を掲げながら、使用済み核燃料の再処理事業を継続する方針はその典型と言える。
立地自治体などとの調整が不十分で、新戦略決定の土壇場で右往左往する不手際も目立った。
さらに関係閣僚からは新戦略と矛盾する発言が相次いでいる。
新戦略で原発の新増設は行わないと明記されたにもかかわらず、
枝野幸男経済産業相は
工事が中断している電源開発大間原発(青森県大間町)と中国電力島根原発3号機(松江市)の建設再開を認めた。
40年で廃炉にする原則を適用しても30年代に原発ゼロにはならないのは明白だ。
2年前から運転を停止している高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県)についても二転三転した。
地元に対していったんは廃炉への理解を求めながら、反発を受けると一転して開発継続の意向を伝える迷走ぶりだ。
野田佳彦首相は原発ゼロ目標はぶれていないと強調、「大方針は間違いなく閣議決定した」と弁明した。
であるならば
「(原発ゼロは)いちおう回避できた」(米倉弘昌経団連会長)などと一様に歓迎している経済団体に
きちんと真意を伝える必要があるのではないか。
政府による一連の国民的議論で、多くの国民が原発ゼロを支持した結果が新戦略の背景にあるはずだ。
政府は脱原発に向けて道筋を付ける使命を忘れてはならない。
原発ゼロ目標を盛り込んだ新戦略全体を閣議決定できなかった責任の重大さを肝に銘じるべきだ。
再生可能エネルギーの普及拡大や電力システム改革の具体策が先送りされていることも気に掛かる。
早急に提示すべきだ。脱原発への取り組みをこれ以上、後退させてはならない。
愛媛新聞 9月21日
「原発ゼロ閣議決定せず 政治の覚悟が聞いてあきれる」
「2030年代原発ゼロ」との目標を掲げた
政府の新たな「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定が、見送られた。
新戦略の決定から、わずか5日。まさかの腰砕けにがくぜんとする。
国の未来を左右するエネルギー政策の大転換を掲げながら、
矛盾や反発を解消する努力もしないまま、
入り口ですぐさま「原発ゼロの旗」を降ろすとは、政治の「覚悟」が聞いてあきれる。
エネルギー政策を大きく後退させかねない愚挙であり、到底容認できない。
国策の根幹に関わる新戦略は当然、閣議決定すべき重い方針。
決定されれば内閣の総意となり、政権が代わっても拘束力を持つ。
それを、反発におびえて「参考扱い」にとどめ、
「新戦略を踏まえて…不断の見直しを行う」という対応方針だけを閣議決定し、お茶を濁した。
あまりに未熟な政治の振る舞いである。野
田佳彦首相は「(原発ゼロ)目標は不変だ」と強弁する。
しかし、誰が見ても骨抜き、格下げは明らか。
政府は今後、関連の具体策は閣議決定を目指すというが、
ゴールや理念を玉虫色にしたまま賛否の分かれる大問題を決着させ、進めることは不可能に近い。
順序が逆ではあるが、
当初の理念を堅持した上で、具体的、現実的な脱原発の道筋を練り直し、早急に提示し直してもらいたい。
そもそも新戦略が、多くの問題と矛盾を内包し、
原発推進・反対の両派から批判を浴びる曖昧、急ごしらえな内容であったそしりは免れない。
原発ゼロと言いながら、使用済み核燃料の再処理事業は続ける。
新増設はしないとしながら、建設中の原発は続行を容認する。
使用済み核燃料の貯蔵、最終処分をどうするのかも未定…。
これでは、国民の側も半信半疑に受け止めざるを得ないだろう。
米国など諸外国から、核兵器に転用可能なプルトニウムが蓄積されるのではとの不名誉な疑念を抱かれてもいる。
国家の意思が、内外から全く信用されない事態を招いた政治の責任は、極めて重い。
今更ではあるが、一刻も早く細部を詰め、代替エネルギー確保の明確な工程を示し、
原発立地地域をはじめ国民に丁寧に説明してもらいたい。
それができなければ、戦略は完全に宙に浮いてしまう。
「いま時期尚早と言う人は100年たっても時期尚早と言うだろう」と述べたのは、
プロサッカーJリーグ発足に尽力した川淵三郎氏。
「原発ゼロ」は、取り返しのつかない代償を教訓にたどり着いた必然の道で、
踏み出すのは時期尚早どころか、遅すぎた帰結ともいえる。
稚拙な政治によって、その道を見失い、諦めることのないよう、戦略の行方を注視したい。
琉球新報 9月21日
「閣議決定見送り 原発ゼロ政策でぐらつくな」
朝令暮改も極まれりという失望を禁じ得ない。
政府は、2030年代に原発ゼロ目標を盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を事実上、見送った。
政府は先週末の新戦略決定で、脱原発方針に大きくかじを切ったはずだが、
反発する経済界や関係自治体などに配慮し、新戦略を参考扱いとする玉虫色決着を図った。
新戦略は原発ゼロを掲げたが、
原発維持が前提となる使用済み核燃料の再処理事業の継続方針との矛盾や、課題の先送りも目立つ。
閣議決定見送りで、原発ゼロ決定の拘束力が弱まるのは避けられない。
政府の重要政策は、文書全体を閣議決定するのが通例だからだ。
国民の多くが求める「脱原発」を掲げたのは、選挙目当てだったと批判されても仕方あるまい。
軸足のぶれは、野田佳彦首相が脱却を目指した“決められない政治”そのものだ。
八方美人的な対応を続けるならば、国民生活の変革につながるエネルギー政策の大転換など到底望むべくもない。
原発ゼロに対しては、日本と原子力協定を結ぶ米国が懸念を示したとされ、
政府が閣議決定を避けた最大の理由とも指摘される。
安全保障政策に加え、エネルギー政策でも米国の顔色をうかがうのなら、
日本は主権国家と言えない。
今後、新戦略を基に策定するエネルギー基本計画は、
閣議決定が法律で義務付けられているが、
肝心の新戦略すら閣議決定できないのに、基本計画の実効性を担保できるのか。
基本計画に原発ゼロを明記できるか民主党政権の本気度が問われる。
くしくも閣議決定を見送った同じ日に、
原子力の安全規制を一元化する原子力規制委員会と事務局の原子力規制庁が発足した。
原発事故の反省を踏まえ、
「原子力ムラ」との決別と、地に落ちた原子力行政の信頼回復が最大の目的のはずだが、実態は程遠い。
政府は、規制委員長に長らく原発推進側の立場にあった田中俊一氏を国会の同意もなしに登用したほか、
規制庁幹部には原子力を推進する関連省庁の出身者が名を連ねるからだ。
新組織には規制の名こそ付くが、
世論の風圧を避けるための弥縫(びほう)策で、原子力ムラの利権を温存しているとも受け取られかねない。
原子力行政の刷新を真に誓うのであれば、第三者機関による委員選定など人事をやり直すべきだ。
高知新聞 9月21日
「閣議決定見送り 問われる『原発ゼロ』の覚悟」
エネルギー政策を大転換する原発ゼロ路線を打ち出したものの、これでは腰砕けではないか。
政府の新エネルギー戦略の先行きが早くも怪しくなってきた。
福島第1原発事故の反省を踏まえ、政府が「2030年代に原発ゼロ」とする新戦略を決定したのは1週間前。
だが、その道筋を付ける文書の閣議決定が見送られてしまった。
政府の重要政策は、文書自体を閣議決定するのが通例だ。
決定されれば、政権や内閣が代わっても新たな閣議決定をしない限り、遂行の責任を負う。
今回の閣議決定文には、原発ゼロ目標や代替エネルギー案など新戦略の中身は一切入っていない。
反発した産業界や原発立地自治体への配慮があったのだろう。
欧米が絡む核燃料サイクルも影響したはずだ。
決定文は、関係自治体や国際社会などと議論し、「不断の検証と見直しを行いながら遂行する」と記しただけだ。
盛り込まれなかった新戦略は「参考文書」扱いとなり、政府への拘束力は弱まってしまう。
こんな状況で原発ゼロの目標へと進めるのか。
政府の覚悟を疑った国民は多いはずだ。
政府が「国民的議論」の場とした意見聴取会や大規模な世論調査では、
国民の過半数が原発に依存しない社会を望んだ。
その意思が、新戦略には反映されたのではなかったのか。
拘束力が弱い参考文書にしたのでは、多くの国民の思いを裏切ることにもなる。
新戦略は、私たちの日常生活は無論、産業界や原発立地自治体など多くの国民に影響する。
実現には幅広い層の理解と協力が欠かせない。
産業界は、太陽光や風力など再生可能エネルギーや火力発電の割合が増すことで、
光熱コスト増への懸念を訴えてきた。
原発立地自治体にも、将来の地域振興面で不安の声は根強い。
しかし、そうした懸念や不安は新戦略発表後に噴出したのではない。
国民的議論の場や政府と産業界との協議でも再三指摘されてきたはずだ。
懸念を抱く産業界などに説明を尽くしてこなかった政府の責任は重い。
基本計画が鍵に
そもそも新戦略は、政府の覚悟が疑われるような先送りした課題が多い。
その反省も必要だ。
原発ゼロとなれば、使用済み燃料を再処理して活用する必要はない。
核燃料サイクル自体を見直さねばならないが、青森県などの反発で、再処理事業を続けることにした。
高速増殖炉原型炉もんじゅも、
当初は廃炉が検討されたものの、放射性廃棄物の減量研究などに転用して存続させていくという。
確立していない廃棄物の最終処分という難題を抱え、短期間で結論を出すのは難しいかもしれない。
だが、原発ゼロを担保する根幹問題を先送りしては、目標達成はおぼつかない。
新戦略の発表後、枝野経済産業相は工事中断中の青森、島根両県の2原発について建設続行を認めた。
稼働すれば、50年代半ば以降まで運転が可能となる。
「30年代に原発ゼロ」との整合性はどうなるのか。
矛盾していると言わざるを得ない。
新戦略の閣議決定は見送られたが、
新たに政府が策定するエネルギー基本計画は閣議決定が法律で義務付けられている。
多くの国民の意思を受けて決定した原発ゼロ目標が果たして盛り込まれるのか。
「不断の検証と見直し」の必要性も否定しないが、
目標へと進む政府の覚悟こそが問われている。
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