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2012年1 月28日 (土)

コメント

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尼たま

小学校から高校までを伊丹で暮らしました
高校は総監部の隣接する県立伊丹高校でした
年に一度、大砲訓練があり窓は締め切ったままとなります。
隊員をたくさん乗せた幌付きの車。
隊員が女子高校生、女子中学生に手を振ります
同級生は、引越し族の自衛隊員の子どもも多くいました
そんな中で生活をしていましたら麻痺しますね
自衛隊のある生活になんとも感じませんでした
しかし、他市で過ごしていると
感覚が変わってきます
昔は
幌付きの車をコンビに駐車場に止め
めいそう服を着たままコンビニに入る
店に入るという姿は見た事がありませんでしたが
最近は平気でそんなことをする光景を見ます
異様です

「憲法県政の会」事務局

 コメントありがとうございます。ほぼ毎日、迷彩服を着た自衛隊員といっしょに出勤しています。市の中心部にある基地と高校、小学校に隣接した2ヵ所の基地を市に返還させていくことで産まれる経済効果を提案できる能力が試されています。すでに、沖縄のいくつかの基地では実証済みです。また情報提供お願いします。

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