今朝も、芸能ニュースで別のお笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことを取り上げていた。
別に不正受給しているわけでもないのに、
保護を打ち切り、所属事務所から借金をして母親を扶養するという。
そもそも、どこの誰が生活保護を受けているのかなどというのは、
重要な個人情報ではないなのか。
子どもが有名人だからといって、別居している親にさえもプライバシーはないのか。
個人情報保護法は何のためだったのか。
通販で買物をするとその情報が回り、
色んな業者からひつこいセールス電話がかかってくるというのに、
学校では緊急電話網の名簿さえ作れないという、おかしな事だらけだ。
おかしいと言えば、
テレビに出ているタレントの親が生活保護を受給しているとさわぎたてるマスコミは、
東北の被災地で、わずか数万円の義援金が支給されたことを理由に
生活保護を打ち切りになった家庭があることを、
また「保護を打ち切られるなら」と
わずかな見舞金も辞退している家庭のことを同じ量だけ報道していただろうか。
そういえば、フランスの人口は日本の半分くらいなのに
生活保護世帯は300万を超えているという。
しかし、フランス政府も国民もそのことを問題にしたりしない。
基本的人権は当然守るべきものという思想が根づいているからだろう。
日本人は(というと語へいがあるかもしれないが)、何でみみっちい話が好きなのだろう。
やれ、年寄りが無料でバスに乗れるのはおかしいだの、
児童手当の所得制限が高すぎるのだの、
年金よりも生活保護額が高いだの、
働いているよりも生活保護の方がたくさんお金をもらっているだの。
なぜ、そもそも年金は受給要件がきびしい上に額が少なすぎることが問題で、
働いても生活できるだけの賃金が支払われないことの方が問題だと思えないのだろう。
私たちは、競争原理の教育やマスメディアに飼いならされてしまったのか。
何十、何十億と株でもうける資産家が、
私たち庶民の銀行金利の半分の税率でしか税金を納めていないことや、
何兆円も経常利益のある大企業が、
様々な減税措置で10数%の法人税しか納めてくせに、
さらに法人税減税を求める厚かましさを何とも思わないのは何故だろう。
ケタが大きすぎるお金のことは、現実味がなく理解しがたいものなのか。
理不尽なことへの怒りを、
何者にも、ひるまず、たじろがず、ぶつけ、
庶民の怒りのたたかいの輪を広げていくことが何よりも大事ではないでしょうか。
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